ボランティア作業にこども会52名から高齢者まで147名参加

こども会から高齢者クラブまでが参加したボランティア作業。子ども会育成会の連絡も万全で多くの参加がありました。(子ども会育成会52名)ふれあい農園での除草作業には青年部も参加、トラック2台でで除草した草を運びました。頼りになります。なお、満久里住宅近辺では70名を含めて一般95名の作業を行いました。(総勢147名)

こどもたちに体験を、というより親も初めての体験者がいます。今日の草取りでは芋(品種が異なり葉っぱも変わっている)の葉を、草と間違えるハプニングもありました。

昨夜は6時から田植え歌踊り、そして正月歌の練習もありました。まずは高齢者クラブから初めて青壮年、子供たちへ。軌道に乗りつつある郷土芸能保存会です。苗も田畑さんが作ってくれました。継承発展の姿勢で、「のうしゅうぶらく(なわしろ)」と呼ばれ、稲作が盛んであった時代の芸能を蘇らせましょう。

 

金見崎でメランジュ研修

7月14日土曜日13時~14時。徳之島ユネスコとして、メランジュ観察会を行った。犬田布のメランジュは鹿児島県の指定天然記念物となって有名だが、徳之島の至る所にメランジュがあることを改めて知った。

一億年の時を経て徳之島が存在するが、4~5000mの海溝にあったとき、海洋プレート(フィリピンプレート)の沈み込みや地滑り、地震などによって形成された堆積物が固形化したもの。フランス語でメレンゲ混合物の意味。徳之島のメランジュは関東から沖縄まで分布する四万十層群に属する。

赤十字奉仕団研修に参加!男性は3~4名でした。

7月13日徳之島町福祉会館。平日実施のため参加者は専業主婦と高齢者、女性連が主なメンバーで北区からも10余名が参加した。町長あいさつでも西日本豪雨災害がありました。簡単なご飯の炊き方を講習し、三角巾の使い方など実践できるノウハウを学びました。男性がもっと参加すべきだと思いました。

「奄美こども環境調査隊指導」に孫の羚愛(れいあ)が任命される!

奄美の自然遺産(環境文化含む)が大人を超えて未来へ繋ぐ営みを子供たちがやろうとしている。企画する大人の思いがひしひしと伝わってくる。東日本大震災「花は咲く」の歌詞にある「私は何を残しただろう」。その場に今、孫が立とうとしている。エールを送りたい。平成17年から始めた私のフィールドワーク。誰から進められたのでもなく、仲間を作りやってきた。毎年学校からの依頼もある。ほぞぼそとやっている。今年からは徳之島ユネスコの理事、会員として出前授業も行っている。山小学校、伊仙小学校、夏には神之嶺小学校、伊仙町養護教諭部会の依頼もあっフィールドワークを行う。半世紀私の見た、学んだ、歩いた思いを込めての「遊歩記」となる。親から、子へ、そして孫へその思いがリレーされる。感慨無量である。さあ!暑い夏に熱い思いを込めて向かっていこう!。

ふれあい農園に芋植え付け「収穫が楽しみだね!」

「子どもたちに芋植えをさせたい」北区子ども会育成会の声を受けて畑を探していたところ「里芳則さんの畑が空いている」とM氏から連絡を受けて、その親族(私の息子の友人へ)へ連絡を取り了解が得られた。早速、草刈りを一人で始め終了。翌日は福岡輝男夫妻が草を焼き、トラクターで耕してくれた。さらに翌日耕運機で畝を取り、植え付けの準備完了。6月10日 日曜日育成会長の親族が芋づるを持ってきた。高齢者8人と育成会、教員など総勢29人で植え付けた。だが芋づる不足で半分は翌々日に私が阿権から準備し、4名の高齢者女性部で植え付け、たっぷりと水かけもした。

植え付けの前には、アリモドキゾウムシ対策の農薬も購入し、散布・混ぜて植え付けました。

これからは植え付けに参加したこども、若い親たちには多忙のため管理が難しいので地区民(私も含め有志)でやるしかない。区民お互いに頼り頼られる関係がうれしいですね。

植え付け・収穫という共同作業をすること「ふれあいの意義」を肌でわかってくれたらいいと思う。「みんなでたのしく汗を流して、」。そのような場を作ってあげることが大人にできること、大切な事ですね。おじいちゃん、おばあちゃんと孫たちの共同作業。見てると心が和みますよ。

自然野生ふじの花と見方で変わる世界観

島で唯一自然の「藤の花」が見られる。

車でさっと、走ってしまえば見過ごすが白井線の伊仙町徳之島町の境界で4月初旬から藤の花が咲き誇っている。これからゆっくりと島の自然に触れたいと思っている。徳洲会病院では私がわざと東アジアの地図をひっくり返して、先生方に講師として呼ばれる際に「琉球弧とアジアのつながり~海洋民族」を話していたが、なんとその地図が掲示されていた。ヤポネシア、琉球弧が作る湖のごとき東シナ海。角度、立ち位置を変えれば歴史や世界観が変わるのです。

先ほど、「東アジア交流地図」を検索すると「佐渡市がおもしろい地図を出しました。佐渡を中心として環日本海圏を描いた地図です。北を左、上が東となります。こうしてみますと、対岸諸国がずいぶん近くに見えます。日本の歴史を振り返りますと、この湖のような日本海は交流の海でした。中国の漢書などには1世紀あたりからの交流が綴られていますから、日本の歴史の中にあっては日本海側こそ歴史のほとんどの時代で表の海であったことがわかります」と説明があった。全く思いが一緒でうれしかったです。

学校勤務に終わりを告げる春 43年間・・・

知名町上城小学校に赴任したのが1975(昭和50)年。和泊中学校8年、奄美大島教育会館専従3年、亀津中学校9年、伊仙中学校7年、天城小学校7年で定年退職。再任用鹿浦小学校5年、犬田布小学校1年でした。激動の昭和史から平成の時代をかけてきました。本務は当たり前ですが、社会教育活動(子供会、西目スポーツ少年団設立、亀津中区文化財少年団)、S54和泊中学校卓球部設立、H2亀津中学校女子卓球部の設立、南三島中学校新人卓球大会設立等卓球への情熱。伊仙中学校の県大会優勝、第1回全国中学校選抜卓球大会県代表。三町小中高人権同和教育研究会会長6年、徳之島郷土研究会、武州丸と平和を考える会代表など等。地域活動を積極的にやってきた、と自負している。未来はこどもたちのもの。「こども笑うな来た道じゃ、年より笑うな行く道じゃ。来た道、行く道一本道」。残りの半生をこどもたちの輝く未来へ、高齢者が生きていてよかった、と思える社会実現に貢献、寄与したいと思います。応援今後ともよろしくお願いします。共に、頑張りましょう。

武州丸からのメッセージ 犬田布小学校家庭教育学級

9日 犬田布小学校家庭教育学級で「学童疎開船 武州丸からのメッセージ」について講演する機会をいただきました。紙芝居を傍らにおいて,パワーポイントで写真も併せて紹介。感想には「子どもを育む,そのためには女性,母親が平和を目指し子どもを守っていく。熱いメッセージが伝わってきた。」「戦争の悲劇を知ること,そして伝えること。命の大切さを改めて考えさせられる貴重な時間でした。」。等々,ほとんどの人が疎開船武州丸で犠牲になった徳之島の学童,母親,祖父母,そして本土への帰還兵,看護婦などのことは知りませんでした。伝えることの営みを,より積極的に継続する必要性を感じました。

石巻専修大学教授 新福悦郎先生来島!

一昨日3月1日、宮城県石巻市 石巻専修大学教授 新福悦郎先生が来島。犬田布小学校の蜂須賀先生との交流だが、なんと30数年前奄美大島教職員時代からの知人だった。一瞬にして昔に戻り、昼からのフィールドワーク案内となった。伊仙町を中心に犬田布騒動からメランジュ、琉球墓、旧奉安殿、カムィヤキ、歴史民俗資料館、トマチン遺跡、なごみの岬では「富山丸の3700余名の戦死者は東日本大震災石巻の死者の数に匹敵するね・・」、学童疎開船武州丸の事と紙芝居。急ぎ足で動いてお昼から6時45分まで。夜は今年も豊作で島唄三味線。「徳之島」を東北の地で発信してくださいね。うれしい楽しい懇親会でした。