ふれあい農園に芋植え付け「収穫が楽しみだね!」

「子どもたちに芋植えをさせたい」北区子ども会育成会の声を受けて畑を探していたところ「里芳則さんの畑が空いている」とM氏から連絡を受けて、その親族(私の息子の友人へ)へ連絡を取り了解が得られた。早速、草刈りを一人で始め終了。翌日は福岡輝男夫妻が草を焼き、トラクターで耕してくれた。さらに翌日耕運機で畝を取り、植え付けの準備完了。6月10日 日曜日育成会長の親族が芋づるを持ってきた。高齢者8人と育成会、教員など総勢29人で植え付けた。だが芋づる不足で半分は翌々日に私が阿権から準備し、4名の高齢者女性部で植え付け、たっぷりと水かけもした。

植え付けの前には、アリモドキゾウムシ対策の農薬も購入し、散布・混ぜて植え付けました。

これからは植え付けに参加したこども、若い親たちには多忙のため管理が難しいので地区民(私も含め有志)でやるしかない。区民お互いに頼り頼られる関係がうれしいですね。

植え付け・収穫という共同作業をすること「ふれあいの意義」を肌でわかってくれたらいいと思う。「みんなでたのしく汗を流して、」。そのような場を作ってあげることが大人にできること、大切な事ですね。おじいちゃん、おばあちゃんと孫たちの共同作業。見てると心が和みますよ。

自然野生ふじの花と見方で変わる世界観

島で唯一自然の「藤の花」が見られる。

車でさっと、走ってしまえば見過ごすが白井線の伊仙町徳之島町の境界で4月初旬から藤の花が咲き誇っている。これからゆっくりと島の自然に触れたいと思っている。徳洲会病院では私がわざと東アジアの地図をひっくり返して、先生方に講師として呼ばれる際に「琉球弧とアジアのつながり~海洋民族」を話していたが、なんとその地図が掲示されていた。ヤポネシア、琉球弧が作る湖のごとき東シナ海。角度、立ち位置を変えれば歴史や世界観が変わるのです。

先ほど、「東アジア交流地図」を検索すると「佐渡市がおもしろい地図を出しました。佐渡を中心として環日本海圏を描いた地図です。北を左、上が東となります。こうしてみますと、対岸諸国がずいぶん近くに見えます。日本の歴史を振り返りますと、この湖のような日本海は交流の海でした。中国の漢書などには1世紀あたりからの交流が綴られていますから、日本の歴史の中にあっては日本海側こそ歴史のほとんどの時代で表の海であったことがわかります」と説明があった。全く思いが一緒でうれしかったです。

学校勤務に終わりを告げる春 43年間・・・

知名町上城小学校に赴任したのが1975(昭和50)年。和泊中学校8年、奄美大島教育会館専従3年、亀津中学校9年、伊仙中学校7年、天城小学校7年で定年退職。再任用鹿浦小学校5年、犬田布小学校1年でした。激動の昭和史から平成の時代をかけてきました。本務は当たり前ですが、社会教育活動(子供会、西目スポーツ少年団設立、亀津中区文化財少年団)、S54和泊中学校卓球部設立、H2亀津中学校女子卓球部の設立、南三島中学校新人卓球大会設立等卓球への情熱。伊仙中学校の県大会優勝、第1回全国中学校選抜卓球大会県代表。三町小中高人権同和教育研究会会長6年、徳之島郷土研究会、武州丸と平和を考える会代表など等。地域活動を積極的にやってきた、と自負している。未来はこどもたちのもの。「こども笑うな来た道じゃ、年より笑うな行く道じゃ。来た道、行く道一本道」。残りの半生をこどもたちの輝く未来へ、高齢者が生きていてよかった、と思える社会実現に貢献、寄与したいと思います。応援今後ともよろしくお願いします。共に、頑張りましょう。

武州丸からのメッセージ 犬田布小学校家庭教育学級

9日 犬田布小学校家庭教育学級で「学童疎開船 武州丸からのメッセージ」について講演する機会をいただきました。紙芝居を傍らにおいて,パワーポイントで写真も併せて紹介。感想には「子どもを育む,そのためには女性,母親が平和を目指し子どもを守っていく。熱いメッセージが伝わってきた。」「戦争の悲劇を知ること,そして伝えること。命の大切さを改めて考えさせられる貴重な時間でした。」。等々,ほとんどの人が疎開船武州丸で犠牲になった徳之島の学童,母親,祖父母,そして本土への帰還兵,看護婦などのことは知りませんでした。伝えることの営みを,より積極的に継続する必要性を感じました。

石巻専修大学教授 新福悦郎先生来島!

一昨日3月1日、宮城県石巻市 石巻専修大学教授 新福悦郎先生が来島。犬田布小学校の蜂須賀先生との交流だが、なんと30数年前奄美大島教職員時代からの知人だった。一瞬にして昔に戻り、昼からのフィールドワーク案内となった。伊仙町を中心に犬田布騒動からメランジュ、琉球墓、旧奉安殿、カムィヤキ、歴史民俗資料館、トマチン遺跡、なごみの岬では「富山丸の3700余名の戦死者は東日本大震災石巻の死者の数に匹敵するね・・」、学童疎開船武州丸の事と紙芝居。急ぎ足で動いてお昼から6時45分まで。夜は今年も豊作で島唄三味線。「徳之島」を東北の地で発信してくださいね。うれしい楽しい懇親会でした。

小さな音楽会 第8回 国際的!の声も

第8回を数える 小さな音楽会 12年前 関西で島出身者が外国旅行を楽しむ中村夫妻に「徳之島、という素敵な島があるよ」と教えた。以来、徳之島を訪れる夫婦がニュー西田ホテルのご厚意で始まった。オカリナ演奏、ハーモニカで慰問活動をしている中村夫妻に友情の輪が広がり、関西と徳之島がつながった。50名を超す知人友人が集まり「三線愛好会結」も三味線演奏で3年目の友情出演でした。フランスから徳之島の方言研究に来島しているレベック、ディミトリさんも参加フランス語よりも上手な日本語で自己紹介。「国際的」を演出していただきました。おーぼらだーに(だれん)。

亀津(近隣)公園の桜植樹から20周年!あすなろ会

2月4日 13時から。あすなろ会の桜手入れと花見。平成10年2月11日に亀津中区の有志で植樹した100本の桜は毎年,1年も欠かすこと無く手入れをし,5~6年後から花見を始めました。3年後の平成13年2月に未来志向,発展的に名前を「あすなろ会」と改称,亀津4区に広げました。その後も毎年植樹は増えて150本ほどの桜公園となりました。オーナー制であったため個人の名札があり,子々孫々へと思いが伝わっていくことでしょう。

2月4日(日)Ⅰ時間半の手入れを終え,花見開始。小雨のため場所を休憩小屋に移し,ブルーシートを風よけとして5時まで太鼓三味線,踊り。「桜木は 風雨に耐えて 花開く 育てし人の 熱き思いに」

世界自然遺産登録直前!フィールドワーク2月3日

徳之島労金と労福協主催の徳之島歴史自然探訪が2月3日(土)あった。案内人として9時30分出発。薩摩藩政時代の亀津~井之川。「江戸時代の人と握手し,記念撮影した人は?」「実は,私です。泉 重千代翁は慶応元年,江戸時代に生まれています。その写真が,これです!」

鍾乳洞に入った。シマンチュや外国から「島の方言研究」で来た人,教員他異職種の交流もあった。昼食の提供,ビンゴーゲームまで感謝,感謝のバスツアーでした。旧奉安殿,慰霊碑など戦跡から平和について学んだ。守り伝える徳之島の歴史文化自然,これからもいろんな団体がバスツアーを精力的に実施できたらいいですね。

北中学校&犬田布小学校ましゅ屋&南三島文化協会研修会

1/30北中学校「地域を知る」(総合的な学習の時間)の講師として依頼され終日島内の歴史,自然探訪を案内した。先ず,足下の戦時中陸軍飛行場,特攻隊慰霊碑では,17歳から若い兵士が参拝し,沖縄へ飛び立ったであろう肉弾三勇士の碑や忠魂碑について話した。防空壕跡「戦時中はこの暗闇が安心安全な場所でした。昼間は隠れ,島の人は夜の月明かりで田植えや農作業をした。犬田布騒動,メランジ,奉安殿。カムィヤキと日本の歴史。鍾乳洞では大ウナギ(鍾乳洞の主?)にビックリしました。

2/1犬田布小学校の5年生は「ましゅ屋」(水本さん)で塩作りの実習。塩水を運び燃料の廃材を準備,出来るまでを学んだ。

昼は南三島の文化協会研修会,夜は三島の郷土芸能披露,徳之島地元から高齢者カラオケの発表や田植え踊り,伊仙の勇壮な棒踊りが披露され喝采を浴びた。