南三島グラウンドゴルフ大会(町制施行60周年記念)

徳之島町制施行60周年記念「南三島グラウンドゴルフ大会」が23日徳之島町総合グランドで60チームの参加で開催された。北区から4チームが参加し、熱戦と親睦の大会が開催された。「得点よりもここに来ること、みんなとプレーできることが楽しみですよ!家にいても退屈なだけ(85歳)」と、皆さんお元気です。この元気に将来に向けて「あやかりたい」ですね。多くの知人に仲間入りの挨拶をして「さあ、これからは高齢者の皆さんと一緒に健康づくりと子や孫への伝承活動だ」と自分に言い聞かせました。お昼はおいしい牛肉のカレーライス、お茶までいただき、満腹満足な大会でした。ちなみに私は23,21の好スコアーでした。はつらつとした先輩たちから元気をもらいました。世話役の皆さんに感謝です。

農地保全パトロール

台風6号が大雨をもたらした後、6月19日 亀津北部農地保全パトロールを実施した。沈砂池の状態を確認しながら道路わきの畑が崩れ、県と連絡を取りつつ復旧の必要。さらにはサトウキビ畑の陥没。安全面からも対応が必要。現地を確認し農家の皆さんの声を聴いて農地を守る取り組みが進んでいる。北区 区長として北部農地保全隊の会長に推挙され動いているが、とても重要かつ迅速な取り組みが必要であることを知った。今後、ボランティアの作業も計画中です。

北区芸能大会(高齢者クラブ)で楽しむ

16日 台風6号(雨台風)接近にもかかわらず、北区高齢者クラブは恒例の芸能大会を開催した。年間行事であり、楽しみにしていたカラオケ、舞踊、ダンス、三味線の発表に大きな拍手が送られていました。台風も大きく逸れて帰りも晴れの天気、芸能披露に皆さんご満悦でした。

東天城中学校フィールドワーク 5/16実施

徳之島を知る、自然も文化も歴史も戦跡から人権・平和教育もすべてを伝えたい。毎年実施する8年目だろうか。継続することの大切さを知る教員がいる限り「人権・平和」は徳之島の歴史を通して学べるはずだ。感じてほしい、先祖の汗を、地を這い歯を食いしばって今の世に「生」をリレーしたあの逞しさを。「島を誇れる子どもたちに育ってほしい」それは過去を隠すことではないはずだ。母間騒動、犬田布騒動の歴史から「死を賭して同朋を見捨てない、正義と団結」。これからも伝えたい。

ふれあい農園に芋植え付け「収穫が楽しみだね!」

「子どもたちに芋植えをさせたい」北区子ども会育成会の声を受けて畑を探していたところ「里芳則さんの畑が空いている」とM氏から連絡を受けて、その親族(私の息子の友人へ)へ連絡を取り了解が得られた。早速、草刈りを一人で始め終了。翌日は福岡輝男夫妻が草を焼き、トラクターで耕してくれた。さらに翌日耕運機で畝を取り、植え付けの準備完了。6月10日 日曜日育成会長の親族が芋づるを持ってきた。高齢者8人と育成会、教員など総勢29人で植え付けた。だが芋づる不足で半分は翌々日に私が阿権から準備し、4名の高齢者女性部で植え付け、たっぷりと水かけもした。

植え付けの前には、アリモドキゾウムシ対策の農薬も購入し、散布・混ぜて植え付けました。

これからは植え付けに参加したこども、若い親たちには多忙のため管理が難しいので地区民(私も含め有志)でやるしかない。区民お互いに頼り頼られる関係がうれしいですね。

植え付け・収穫という共同作業をすること「ふれあいの意義」を肌でわかってくれたらいいと思う。「みんなでたのしく汗を流して、」。そのような場を作ってあげることが大人にできること、大切な事ですね。おじいちゃん、おばあちゃんと孫たちの共同作業。見てると心が和みますよ。

疎開船武州丸の操舵手 澤津橋勉さん逝去の報に接す・・・

先日、澤津橋勉さんの奥様からご逝去の電話をいただいた。4月25日に亡くなったとのこと。謹んでお悔やみ申し上げます。ご冥福をお祈りします、同時に澤津橋さんの平和のメッセージをこれからも語り継ぐことをお約束します。

毎年9月25日の慰霊の日にはお電話をいただき、遺族や戦争のない平和祈願のことばを参列した人々に紹介した。

2008年5月22日丁度10年前に川辺の澤津橋勉さん宅を訪ねた。1944年9月25日 中の島沖で米潜水艦に轟沈され、徳之島の児童生徒、母親、祖父母 148名が亡くなった。当時澤津橋さんは操舵手として(16歳)戦時中敵潜水艦の魚雷攻撃を避けながらの航海をしていた。台湾から食料を積み船団を組んで貨物船としての役割を担っていた。古仁屋港で貨物を下ろして、疎開船として軍属や看護婦、疎開者を乗せて鹿児島へ向かった。夜9時に澤津橋さんは交代した。その直後2発の魚雷攻撃で武州丸は轟沈した。

「1000名を超す人が乗船していたと思う。」と証言した。「武州丸」の最期を知る生き証人が亡くなった。「戦争」お互いの正義がぶつかり合う。「戦争に正義なんてない」とイラク戦争帰還米兵が沖縄で語っていた。

「戦争を知らない子どもたち」の世代が戦争を語り継ぐことをしないと、「また来た道を戻る」恐れもある。「むしゃくしゃして、誰でもよかった!」新幹線での殺傷事件。秋葉原の事件を思い起こした。「物はなくても心のつながる社会」を回顧しつつ、今を生きたい。