学校勤務に終わりを告げる春 43年間・・・

知名町上城小学校に赴任したのが1975(昭和50)年。和泊中学校8年、奄美大島教育会館専従3年、亀津中学校9年、伊仙中学校7年、天城小学校7年で定年退職。再任用鹿浦小学校5年、犬田布小学校1年でした。激動の昭和史から平成の時代をかけてきました。本務は当たり前ですが、社会教育活動(子供会、西目スポーツ少年団設立、亀津中区文化財少年団)、S54和泊中学校卓球部設立、H2亀津中学校女子卓球部の設立、南三島中学校新人卓球大会設立等卓球への情熱。伊仙中学校の県大会優勝、第1回全国中学校選抜卓球大会県代表。三町小中高人権同和教育研究会会長6年、徳之島郷土研究会、武州丸と平和を考える会代表など等。地域活動を積極的にやってきた、と自負している。未来はこどもたちのもの。「こども笑うな来た道じゃ、年より笑うな行く道じゃ。来た道、行く道一本道」。残りの半生をこどもたちの輝く未来へ、高齢者が生きていてよかった、と思える社会実現に貢献、寄与したいと思います。応援今後ともよろしくお願いします。共に、頑張りましょう。

送別の季節到来・・・

別れの季節,昨年三線愛好会の会員として警察署長という重責の合間に研鑽を続け島唄「朝花」や琉球奄美のポップスまで弾きこなせるまでになった有村署長が栄転となった。一昨日の新聞発表から一夜明けた昨日ホテルニュー西田の居酒屋「今年も豊作」で送別会。自分たちで歌って踊って,心に思い出に残る送別会でした。おーぼらだれん,おーぼらだーに。ご活躍を祈っています。

武州丸からのメッセージ 犬田布小学校家庭教育学級

9日 犬田布小学校家庭教育学級で「学童疎開船 武州丸からのメッセージ」について講演する機会をいただきました。紙芝居を傍らにおいて,パワーポイントで写真も併せて紹介。感想には「子どもを育む,そのためには女性,母親が平和を目指し子どもを守っていく。熱いメッセージが伝わってきた。」「戦争の悲劇を知ること,そして伝えること。命の大切さを改めて考えさせられる貴重な時間でした。」。等々,ほとんどの人が疎開船武州丸で犠牲になった徳之島の学童,母親,祖父母,そして本土への帰還兵,看護婦などのことは知りませんでした。伝えることの営みを,より積極的に継続する必要性を感じました。

石巻専修大学教授 新福悦郎先生来島!

一昨日3月1日、宮城県石巻市 石巻専修大学教授 新福悦郎先生が来島。犬田布小学校の蜂須賀先生との交流だが、なんと30数年前奄美大島教職員時代からの知人だった。一瞬にして昔に戻り、昼からのフィールドワーク案内となった。伊仙町を中心に犬田布騒動からメランジュ、琉球墓、旧奉安殿、カムィヤキ、歴史民俗資料館、トマチン遺跡、なごみの岬では「富山丸の3700余名の戦死者は東日本大震災石巻の死者の数に匹敵するね・・」、学童疎開船武州丸の事と紙芝居。急ぎ足で動いてお昼から6時45分まで。夜は今年も豊作で島唄三味線。「徳之島」を東北の地で発信してくださいね。うれしい楽しい懇親会でした。