薩摩富士 白雲の帽子ですね

早朝6時、

薩摩富士と呼ばれる所以でしょう。白雲が雪のように桜島の帽子になっています。日々その姿を変える桜島です。鹿児島の人々がなんとなく見ている桜島。毎日何か語り掛けているようです。

今朝は「おめでとう、退院。目は大事にね!」と。

お隣に県庁の庁舎、「今日も頑張って!県民の声 安心安全な鹿児島県たのみます!」

蒸気屋の看板も「県内外の観光客に大好評、頑張って!」

ガソリンスタンド「円安で高いけど、給料上がれば問題ない。大企業国民に還元を!」

川畑眼科医院「光をありがとう!世の中を照らす大事業!頑張って」

今朝の桜島の声、でした。(今日退院します。感謝、シェシェ、おぼらだれん(徳之島)、ミヘディロ(沖永良部)トートガナシ(与論島)、ニヘディービル(沖縄)・・・ありがとうございました。)

感謝!川畑眼科医院の皆様、家族、職場・・・!

明日30日、退院。孫に会いに行きました。

この部屋から見る夕日は格別に輝いていた。県庁、遠くに桜島。今回、白内障になって、加齢によるものだと認識し、初期老人65歳を自覚することになった。これからは、健康で孫の成長を見守り地域に貢献し、職場にも感謝感謝の気持ちでいこうと決意した。院長他看護師さんスタッフの頑張りを目の当たりにして「時間」「職務」に対する真剣度を学んだ。川畑眼科医院の皆さんありがとうございました。患者第一の姿勢うれしかったです。歯に衣を着せぬストレートな院長先生。どなたかがこのブログを見て伝えていただければ幸いです。徳之島に「川畑眼科医院友の会」ができたらいいですね。うっすらとした世の中が、断然明るくなり、気持ちも1.5倍は爽やかになりました。ありがとうございました。良き人生の思い出となりました。川畑眼科医院の益々のご活躍発展を祈念申し上げます。

 

今日は何の日?輸送船富山丸撃沈1944(昭和19)年6月29日 徳之島)

1944年6月29日終戦の1年前、 沖縄戦に向かう輸送船富山丸には4000名の兵隊と燃料(1500本のドラム缶)を積んでいた。73年前の早朝7時30分ごろ徳之島亀徳沖、約3Kmで悲劇は起きた。地元で徴用された人々が浅間の陸軍飛行場へ向かう時間帯、亀徳沖を南下する日本海軍の船団。彼らは「鬼畜米英に我が日本海軍が鉄槌を下すのだ!」と眺めていた。そのとき、大爆発で輸送船富山丸が黒煙に覆われ船団はバラバラになった。風は海から島にむかって吹いていた。重装備をした船底の兵は海底へデッキへ飛び出した兵の多くが島を目指して泳いだ。しかし、次々とドラム缶のガソリンンへ引火誘発され、兵隊の多くが火の海で戦死。3704柱と記されている。(参考までに数年前 沖縄 平和の礎に富山丸の戦死者も刻印)

「この道はいつか来た道」、共謀罪によって戦争反対、平和を訴える人々は顔写真、録音という監視によってあとずさりしないだろうか。戦前回帰は始まっていると感じる。戦争を知らない私が感じる。日本は国際平和、協力の名の下で武器の後方支援、武器輸出という商売もできる。自衛隊(国家公務員選挙中立,公選法上の地位利用による選挙運動禁止規定の適用対象)を選挙に利用する防衛大臣、女生とは思えない。与謝野晶子「君死にたまうことなかれ」であってほしい。

7時28分今から73年前。黙祷~。(川畑眼科入院中~明日退院です!)

南極の氷を母校(徳之島伊仙町犬田布小学校)の後輩へ

2017年5月31日 海上自衛隊員 佐藤利樹さんが母校の児童へ「南極の氷」を届けてくれた。

彼は昭和57年生まれ 鹿児島県大島郡伊仙町立犬田布(いぬたぶ)小学校の卒業生です。耳を当てると、「・・・・」氷の中に閉じ込められていた「ん百年前」の南極の空気が解けて空気中に放出される音が聞こえました。人それぞれ夢がある。その夢を果たしたら、誰かに繋いでいく・・・。「南極にどうしたらいけますか?」の質問に。「研究者になること、学校の教員も希望者は行けるかも、海上自衛隊員になること」。(写真は3年生、全児童に触ってもらった)。お土産として氷のブロックを準備する佐藤さんの思いが、伝わってきますね。感動を与える、もらう。いいですね!

梅雨の鹿児島、植物の生気がみなぎっている

鶴丸城跡、黎明館に向かう。天文館で下り、散歩がてらに照国神社、中央公園を通り抜ける。植物、緑の木々が生気溢れているソテツの若葉、街路樹も新芽がふきだしている。生命の躍動を感じる。鶴丸城跡黎明館へ。蓮の大きな葉が肩をくっつけもみ合い、そこから天空に突き出す茎の先に大輪の蓮の花。出番をまつ、つぼみ。

今日黎明館で「小松帯刀とその時代」があった。彼の本を以前読んで感じた。「家老ともなった友人あればこそ、大久保や西郷はその力、能力を発揮できたんだ」と。幕末、西郷隆盛や大久保利通と同年代であり、家老という要職にあった小松がいなければ明治維新はなかった。薩摩の武力を威力(バック)として幕府に大政奉還をさせた男だ。。今「西郷どん」が取り上げられ、偉人として神格化されつつもある。(故 原口虎雄氏の恐れがあたらなければいいが)。西郷は下野し、私学校という軍事訓練校をつくった。明治政府に残って新政府のため尽力した弟の西郷従道や黒田清隆。今日の時代背景に国民を呼応させたい、とすれば西郷隆盛なのだろう。

すげっー、なんじゃこりゃ ♡世の中こんなにクリヤーなんだ!

今朝、眼帯を取り洗眼後部屋に帰って窓から外を眺めた。その時の感動をメモしたので紹介する。

「すげっー、なんじゃこりゃ!」部屋に戻っての一声。車が走っている、看板がある、見える。株式会社しんでん、蒸気屋の看板。すぐ目の前に県庁の庁舎が迫って見える。平山歯科、手前のガソリンスタンド・・・。鏡の前に立ってすっきりさわやかな自分を記念撮影した。感謝感謝以外にない。手術をしていただいた凄腕の院長先生、ピリッとしまってスピーディーな連携の職員。多くのことを学ばせていただいている。熱意、自己責任感、患者への気配り、安心感の提供。

退院まで一週間あるが、退屈ではない。共に語り合う人生の先輩がいらっしゃる。古賀さん(元枕崎市会議員、写真は男はつらいよトラさん33年前)、森さん、退院した日高さん(屋久島から今朝、電話をいただいた)、喜界島の星山さん(魚釣り専業、奥様は私の友人沖島さんときばろう会仲間でした。)、松本さん夫妻(徳之島西阿木名・・今度帰ったら訪ねてみます)、「川畑眼科同期の桜」が互いに人生を語り合い友情を温めている。昨日23日は沖縄 慰霊の日~戦争のこと。話題は尽きない。

孫、誕生 名は「紬」ちゃんです!

6月5日に次男夫婦 大輔・晃子に待望の赤ちゃん、紬ちゃんが誕生!兄弟も熊本から静岡からお祝いに駆けつけてくれた。命名は我が次男 大輔がこだわりの「紬」と命名。縦糸横糸で紡いでいく人生。連綿と先祖から受け継いできた命のリレー奄美の大島「紬」です。よろしくお願いします。

天城小学校集団宿泊学習フィールドワーク

6月14日「雨ですが、現地で語り、見て触っての感動を!」。天城小学校の集団宿泊学習は少なくとも私が在職中からはじめているので今回の案内は8回以上である。足下の自然・歴史を知って子供たちにふるさとを誇れるように!これがねらいである。徳之島には国の有形文化財「旧奉安殿」や国指定カムィヤキ窯跡、面縄貝塚がある。他にも県の指定するメランジュや線刻画、数々の縄文、弥生時代の埋蔵文化遺跡これらを知らずに島人(シマンチュ)とはいえない。感動をこどもたちに!平成17年から毎年5~6回のフィールドワークは続いている。広く浅くでもいい。戦跡を知り、平和を構築する気概を持った子供たちが育つ。環境は人を育てる。

 

こんなにきれいんだ!雨上がりの舗道~川畑眼科入院

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私は今、鹿児島の川畑眼科医院に白内障手術で入院している。(6月14日天城小学校のフィールドワークを終えてその日に鹿児島へ)左目を16日手術。あまりにも鮮明に見え、もう片方の手術もお願いした。手術前と後では写真左上の窓ガラスの左右と似ている。歩く人の顔がはっきり、何よりも自分の顔がよく見える。見えすぎるのだ。私は65歳早い白内障だ。離島(屋久島、喜界島、徳之島)から次々に患者がやってくる。70歳から80歳が多い。車の免許切り替えで手術を要する人も二人いた。みんな仲良く過ごしている。三食の食事付き、来週30日退院。つらい文書事務も楽々になり読書が楽しみになりそうだ。