夏休みラジオ体操を地域コミュニティ作りに

夏休みのラジオ体操が始まった。ラジオ体操参加へ、今の子どもや親。、地域のとらえ方はどうだろうか。子ども~「大人はいいな-、体操に行かなくて。僕たちも土曜、日曜日は休みにしよう。」と学校の地域話し合いで決定。教員は「子供達の自主性を尊重します」。保護者も「夏休みの朝寝をしない生活リズムのために」の認識。地域は「・・・・・」。

昭和50年当時、私は沖永良部の上城小学校に勤務。夏休みは、というと 朝はランニング~地域のおじい、おばあも参加。ラジオ体操後は縄跳びの音楽を流し、それぞれチャレンジ。その後キャッチボールやドッジボール。

地域とのふれあいがあり、地域がこどもたちを育てているという実感があった。冬は「カチカチ火の用心~」地域と一体の学校、社会教育は高校生までを取り込み青年団が元気だった。汗を流した。バレー、野球、駅伝、地域行事~飲んで激論を交わしたものだ。

和泊中学校勤務の8年間も地域の運動会から郷土芸能まで異年齢の人たちが繋がっていた。地域の大人がこどもたちを「叱った」というより「叱ることができた」地域環境だった。

今、恐れるのはかつてこのような経験をした大人が高齢化し、口を閉ざしていること。

コミュニケーション能力を高めよう!と研修しながら地域活動へ参加しない公務員(教員含む)。人生は二度と無い、ということを知るのはいつごろだろうか?。「生徒はいつまでも子どもじゃないよ、」と妻に諭されたのは確か亀津中学校勤務中42,3才の頃だった。部活動生徒への叱責や指導、上目目線のころかな。子どもを一人の人間として見つめる。

昔は~というより、今何を為すべきか?

考え、実践に移せたらと思う~だけじゃだめだね。ファイト!

 

 

沖縄からやってくる知人に不安の電話「どうしたらいい?」

今日、某高齢者から電話があった「沖縄から知人が来るらしい」「保健所へ電話すべき?」「怖いです!」

あなたならどうする?今日の話です。知人友人が帰省・来島するこれから真剣に考えたい。

ご存じの通り沖縄の米軍基地でのクラスター「独立記念日のパーティ」、「沖縄のタクシー運転手が米軍を乗せてコロナ感染」このような新聞記事から恐れを抱くのは当然です。

「保健所へ電話してもその人を家に拘束できないし、県外移動は国が許可していること。あとは知人が訪ねてくる際にマスクで対応すること。ソーシャルディスタンスで語ることですね。」

このように応えるのが精一杯でした。

 

コロナ対策「奄美大島警戒レベル策定」

go toキャンペーンで地方へ東京・関西・沖縄・本土の無感染者が航空機、新幹線で押し寄せるかもしれない、夏休み前に警戒レベルが発表された。今や「警戒レベル3」である。来島者へは「マスク着用など島ん人への配慮」を訴えている。コロナ感染者0の徳之島へgo!と押し寄せてくる観光客。因みに私の家族はこの夏移動をやめた。家族みんながそろう喜びよりも不安の解消を優先した。観光業界は十分な対応で旅行客を受け入れ、島民を守ってほしい。WHOは多くの国が危険な方向に進んでいると警鐘を発した。

芋植え

6月28 ~29 日 雨天のため延び延びになっていた芋植えを強行実施。

耕耘も福岡輝男さんがびっしょり濡れながら行い、土砂降りのため芋植えは翌日月曜日夕方にした。

残念ながら悪天候で子ども会、高齢者クラブ多くの参加を得られなかった。

12月の収穫時は多くの参加で芋掘りを楽しみたい。

亀津中学校1年生 武州丸講話

6月30日 亀津中1年生へ 疎開船武州丸 の話をしました。戦時中奄美守備隊約7000名が徳之島へ駐屯。そのため米軍の上陸に備えて「口減らし・足手まとい」のため、幼老婦女子6200名が対象となった。サイパン島陥落後、政府は南西諸島10万人の疎開命令。

一瞬にして夢・希望を絶たれた子供達77名。0歳児も5人。平和を構築する時代、それは今の若者に託される。武器輸出で壱兆円もの取引をする日本。平和利用の名の下で殺戮兵器を売る。メイドインジャパンの兵器が日本人、自衛隊員に向けられないことを祈る時代だ。