全日本卓球徳之島二世 木原美悠 準V

昨日の全日本卓球選手権にくぎ付けになった。そして女子で準優勝した木原美悠選手が徳之島二世と知って歓喜。4歳から卓球を始めJOCエリートアカデミーに所属する2020東京オリンピック強化選手である。あの平野美宇を破った時からの快進撃。昨年の覇者国際大会豊かな平野美宇の口惜しい表情と逆に淡々とした木原美悠にびっくり、大物を感じたのは私だけではないだろう。

遠い全日本卓球が身近に感じられた。小生も伊仙中学校女子卓球部を鹿児島県で新人戦優勝 第一回全国選抜中学校卓球大会に導いた者として夢と可能性を今の若者、指導者に期待したい。

当時子どもたちに語ったこ言葉を思い出す。「靴を並べること。元気な挨拶。先んずれば人を制す、スタートダッシュで出遅れない。心中の賊を破るは難し。テレビ・マンがを見ていては勝てない。犠牲なくして勝利は勝ち取れない。」。昼休み給食の後は自主トレの名のもとにサーキットトレーニング、素振りに励んだ。その当時(平成11~16年度)大島地区女子6連覇を成し遂げた。

子どもたちの可能性は無限、夢・希望を叶えさせたい。

自治公民館研修会

自治公民館研修12月12日は花徳地区のフイールドワーク。山小学校で戦跡や黒畦海岸では琉球石灰岩のポットホールから隆起した多くのサンゴ礁にホールを観察。また旧家の石垣、集落の石垣を見学。アジ墓 掟大八(フーハチ)の見学も。

NHK武州丸取材 放映されました!

疎開船武州丸の悲劇から74年目。命日は9月25日だが、平日のため前倒しで土曜日に例年行っている。今回はたまたま私の67歳の誕生日にも重なった。

今年4月25日に逝去された武州丸の生存者「澤津橋務さん」。その意志を継ぎ、伝えていきたい。

平成の年号も最後の年、戦争のなかった「平静」の時代を私たちはどう生き、何を残しただろうか。自然に関してみれば開発と保護、半世紀で変わった世界自然。課題は多い。戦争と平和の視点からみれば、戦争のできる日本「自衛隊を軍隊へ」の構想は果たして「平和維持」だろうか。武器輸出は「平和維持貢献」の美名で国民は納得したのだろうか。農業はTPPは、車の関税で脅され農業で2兆円?の損失と報道されている。カジノは次の世代に何をもたらすだろうか。ストレスがさらなるストレスとなり、社会悪へ発展しないか。

NHK取材の若い人たちが平和を発信する姿にほっとした。「戦争を知らないこどもたち」を歌った私たちの世代が今戦争を伝える時代となった。一方、政府は戦争を知らない世代(国会議員)が軍隊を作ろうとしている。自ら武器を持ち、前線に立たない人たちがー。イラク戦争では奨学資金が州兵の条件で苦学生が武器を持った。貧しい時代その矛先は、外に向けられる。中国は国内の不満が出るとガス抜きで半日キャンペーンを張る、と報道された。軍需産業が拡大され(好景気)、戻れない状態へ突き進んでいないか、懸念される。未来を担うこどもたちの小さな声に耳を傾けてほしい。「武州丸のことを知って、次の世代へも伝えていきたい。平和を守りたい。」(東天城中学校平和の夕べにて)

専修大学相撲部合宿 歓迎会

専修大学相撲部合宿が徳之島で行われている。今夜はニュー西田ホテルで歓迎会があった。

現在牧園君が唯一相撲部に籍をおき、有望視されている。島内の相撲関係者が集まり、激励の言葉を述べた。三線愛好会結も歓迎の歌声を披露。

北区合同ラジオ体操会130余名参加、ホールインワン賞に喜々!

初の試みで北区合同ラジオ体操会を開催した。区民ふれあいの場としての行事に高齢者クラブ、保護者多くの方々が参加した。親子、じいちゃんと孫がホールインワンを狙う姿は微笑ましく一時間を大いに楽しんだ。口々に「楽しかった、これからもあればいいね!」。地域の相互扶助など「結」の集落づくりに一歩前進できたと思う。「猛暑の夏、ラジオ体操をしながら健康的に過ごしてください。」と開会の挨拶をした。

ボランティア作業にこども会52名から高齢者まで147名参加

こども会から高齢者クラブまでが参加したボランティア作業。子ども会育成会の連絡も万全で多くの参加がありました。(子ども会育成会52名)ふれあい農園での除草作業には青年部も参加、トラック2台でで除草した草を運びました。頼りになります。なお、満久里住宅近辺では70名を含めて一般95名の作業を行いました。(総勢147名)

こどもたちに体験を、というより親も初めての体験者がいます。今日の草取りでは芋(品種が異なり葉っぱも変わっている)の葉を、草と間違えるハプニングもありました。

昨夜は6時から田植え歌踊り、そして正月歌の練習もありました。まずは高齢者クラブから初めて青壮年、子供たちへ。軌道に乗りつつある郷土芸能保存会です。苗も田畑さんが作ってくれました。継承発展の姿勢で、「のうしゅうぶらく(なわしろ)」と呼ばれ、稲作が盛んであった時代の芸能を蘇らせましょう。

 

金見崎でメランジュ研修

7月14日土曜日13時~14時。徳之島ユネスコとして、メランジュ観察会を行った。犬田布のメランジュは鹿児島県の指定天然記念物となって有名だが、徳之島の至る所にメランジュがあることを改めて知った。

一億年の時を経て徳之島が存在するが、4~5000mの海溝にあったとき、海洋プレート(フィリピンプレート)の沈み込みや地滑り、地震などによって形成された堆積物が固形化したもの。フランス語でメレンゲ混合物の意味。徳之島のメランジュは関東から沖縄まで分布する四万十層群に属する。

赤十字奉仕団研修に参加!男性は3~4名でした。

7月13日徳之島町福祉会館。平日実施のため参加者は専業主婦と高齢者、女性連が主なメンバーで北区からも10余名が参加した。町長あいさつでも西日本豪雨災害がありました。簡単なご飯の炊き方を講習し、三角巾の使い方など実践できるノウハウを学びました。男性がもっと参加すべきだと思いました。

「奄美こども環境調査隊指導」に孫の羚愛(れいあ)が任命される!

奄美の自然遺産(環境文化含む)が大人を超えて未来へ繋ぐ営みを子供たちがやろうとしている。企画する大人の思いがひしひしと伝わってくる。東日本大震災「花は咲く」の歌詞にある「私は何を残しただろう」。その場に今、孫が立とうとしている。エールを送りたい。平成17年から始めた私のフィールドワーク。誰から進められたのでもなく、仲間を作りやってきた。毎年学校からの依頼もある。ほぞぼそとやっている。今年からは徳之島ユネスコの理事、会員として出前授業も行っている。山小学校、伊仙小学校、夏には神之嶺小学校、伊仙町養護教諭部会の依頼もあっフィールドワークを行う。半世紀私の見た、学んだ、歩いた思いを込めての「遊歩記」となる。親から、子へ、そして孫へその思いがリレーされる。感慨無量である。さあ!暑い夏に熱い思いを込めて向かっていこう!。