南西諸島は第二次世界大戦でも捨て石だった。沖縄は地上戦を強いられ、本土防衛の最前線として住民を巻き込む(住民はガマから追い出され)修羅場、日米沖縄県民約20万人が戦死した。今回の訓練も本土防衛のためであり、最前線で島の人はすでに仮想敵国の側に支配され、住民は「盾」としてまさしく沖縄の戦時中さながらの状況におかれるだろう。その間に軍部はどこかで和解し、南西諸島の住民は名誉の戦死、靖国に祀られる。
海から水陸両用車がやってきて銃弾が飛び交うとき、シマンチュは山中に逃げるか砲弾で死ぬか。
日米の合同訓練に住民の避難も入れてほしいものだ。そのとき私たちは竹やりで応戦?または収容所に入ったままなのか。
守ってくれとは言わないが戦争ごっこで住民を安心させれると思うほど、シマンチュは愚かでないはずだ。
外交の失敗を離島に投げてほしくない、国際交流こそが平和への道しるべであり、貧しいものが戦場に送られる(ロシアは金と家を作る土地提供、囚人もおとがめなしで戦場へ)イラク戦争でも奨学金欲しさでアメリカの州兵が戦場に出た。今、アメリカの傭兵部隊は金もうけにウクライナへ出稼ぎ、軍需産業は好景気だ。おかしい、と思わないといけない。誰のための戦争なのか・・・。