復帰70周年 疎開船武州丸慰霊「平和の夕べ」本日実施

本日 疎開船武州丸 慰霊「平和の夕べ」を 亀徳 なごみの岬 「武州丸遭難者の碑」前にて午後4時から行います。

武州丸の撃沈 148名からの平和のメッセージを伝え、風化させない平和教育実践の集いです。

「つどい、知り、伝えたい」子どもたちに輝く平和な未来を残したい!世界情勢を見ると今はまさに戦前です。

参加することは、平和構築の一歩です!

徳之島町立山中学校学校だより令和5年8月30日 Shine   写しです

【少人数の良さを生かす。生徒がきらり輝く教育】 Area【地域の人や自然を生かす。地域に根ざした学校】 Never give up 【ひたむきに努力する教師と生徒】

平和学習 7月18日(火)の3校時に,平和学習を実施しました。 今年は,徳之島郷土研究会 会長 徳之島ユネスコ協 会の幸多勝弘さんを講師として招聘し,「戦後78年 日本復帰70周年 戦争と平和について考える」という テーマで,講話していただきました。 山集落の歴史,現在の世界情勢,奄美群島の本土復帰 までの様々な活動,疎開船「武州丸」等,多岐にわたる 貴重なお話しを聞かせていただきました。 奄美群島本土復帰については,復帰運動に活躍された 前田長英氏,為山道則氏,泉芳朗氏 3名の活動を通し て詳しく知ることができました。 疎開船「武州丸」のお話では,山集落の25名の方が 犠牲となった事,その中で児童が12名犠牲となったことも知りました。 講話のまとめでは,「過去に目を閉ざす者は,現在も盲目になる」,「人権侵害の最 たるものは“戦争”~戦争に正義はない~」という言葉を挙げ,「みなさんには戦争の 悲惨さと命の貴さを常に心にもつていてほしい。」,「二度と戦争は起こしてはならな いのです。」ということを強調して,平和学習を締めくくってくださいました。

 

敬老祝賀会2023北区集落

本日敬老の日を迎えられた皆さん

誠におめでとうございます。

この3年間コロナウイルスに対する防衛、他人への気配りなど多くの事を経験しましたが、やっと当たり前の日常が戻ってきました。

さて、この北区集落に住んでいる皆さんは いろんなご縁 一期一会(いちごいちえ) があって毎日を過ごしていらっしゃいます。

島を離れた子どもたちや孫たちもまた今日の日をよろこんでいることと思います。

先日町内の、99歳白寿のお祝いに参加する機会がありとても感動しました。

ご本人のスピーチで、「農業・野菜作りの研究をしている、」さらに島の基幹産業サトウキビにも触れ「サトウキビは以前36万トンもあった。伊仙・徳和瀬2つの工場を維持存続させるため20万トンは確保したい、」などと思いを語りました。

人生を前向きにとらえ、やりたいことをやる、その意欲が長寿の最大の秘訣だと感じました。

さて、北区で80歳を迎えた新敬老者は 今年総勢85名でした。そして本日の出席者三四名

97歳の川畑チヨさんは大正15年(1926)に生まれています。昭和元年の年です。

元気いっぱい溌剌(はつらつ)としています。

95歳の作山キヨさんはグラウンドゴルフを楽しみ、本日はマドロスさんを踊ります。

男性 最長寿者は幸田隆久さん94歳   家にはスポーツマンで鳴らした数々の賞状が山と積まれています。

今年は日本復帰70周年を迎えます。

日本復帰の叫びは徳之島の歴史家前田長英氏が米軍統治下で訴え、学徒出陣でフィリピンから帰った為山道則氏が1950年宮崎から全国にのろしを上げて始まり、翌年泉芳朗が名瀬で復帰協議会議長として断食祈願、奄美のガンジーとして日本復帰の功を奏したことを忘れてはなりません。

このような戦中・戦後の激動の時代に、

苦しみと復興への歩みを経験した皆さんは歴史の語り部です。

皆さんの体験、生きる力は、必ず私たちに勇気と希望を与え私たちの心を豊かにし、生きた証として連綿と伝承されることでしょう。私たちが住む亀津北区集落は、明治時代徳之島学問発祥の地とされた安住寺跡に亀津小学校があり、さらには 薩摩藩政時代は蔵屋敷がおかれた徳之島高校、学校教育では厳君無処罰 龍野定一先生の生まれジマ。大瀬川沿いの稲作地帯でもありました。

徳之島は子宝、長寿の島です。そして島の人々は「結」という絆で結ばれています。

北区に住むわたしたちは、幸福感世界一といわれるブータンの国に、勝るとも劣らない幸福感を享受していると確信します。

最後に(本日はご多忙の中お祝いに駆けつけてくださった高岡町長はじめご来賓の皆様ありがとうございます。)

敬老者の皆様をいつも暖かく支え、見守ってくださるご家族の皆様、地域の皆様にも感謝申し上げます。

敬老者の益々の健康長寿をご祈念して、お祝いの言葉とさせていただきます。

本日は誠におめでとうございます。2023年9月17日

防災訓練研修会実施

7月1日土曜日 午後1時30分から3時30分

防災訓練研修会が区民30名の参加で実施された。まず、東日本2011年3.11から学ぶ津波時の対応を学習した。

津波のメカニズムを学習し、更に「津波時にはそこを離れるのではなく、高台へ移動」「災害時の教訓として①想定にとらわれず行動すること②状況下において最善を尽くす、更なる行動へ③率先避難者であれ」と学習。防災学習は学校と地域が一体となって行うべき。学校での防災教育は10年20年30年後、子ども、若者、親の世代へと引き継がれる。長いスパンで防災教育をすべき。

「津波は来るから」の意識を常にもつこと。子どもの高台避難行動が「群集行動」として命が助かった。

防火訓練では「煙発生の中をどう対処するか、マスク・布で口鼻をふさぎ背を低くして有毒ガスを吸わない」30、40cm先しか見えない中を消防団員の誘導で部屋から脱出する経験を全員がした。

消火器の使い方を高齢者、親子で学んだ。

講演の前に災害時の炊き出し、炊飯研修では社会福祉協議会の元田事務局長が炊飯袋の使用方法を説明、コメの量・だし汁・空気を出さないと破裂するなど注意事項を説明しながら50個を熱い湯の中に入れ30分ほどで完成。

この機会に衛生的で災害時の必要性から500袋を公民館に備えた。

3.11を教訓とする学習、煙の中の脱出、その恐怖と対策、心得など多くを学んだ。

4年ぶり高齢者芸能大会

6月17日 土曜日 午後5時から8時30分 3時間半に及ぶ 舞踊にカラオケ

待ちに待った芸能、カラオケ大会でした。高齢者クラブ 小山田さんのプログラムには舞踊、三味線 島唄、カラオケと時を忘れるほどの多彩な「芸能」披露となりました。

コロナ感染症との戦いが終息する記念日であってほしいですね。

高齢者クラブ総会終了後、4年ぶりに懇親会カラオケ

北区高齢者クラブ総会終了後、私たちは4年ぶりにカラオケ大会で親交を深めた。新型コロナウイルス感染症と戦った3年間でしたが、やっと克服した喜びを満喫した夜でした。3年間に逝去された方々のご冥福を祈り、今元気な時代を大切に過ごさなければ、という実感が湧いてきました。

10年前熊本宇城市の研究会に講師 戦時中の疎開多くは 鹿児島県外だった?なぜ

2013年 8月 26日 (月)

熊本県宇城市平和教育研究集会

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奄美の歴史、平和教育実践を知りたい!紹介があった、ということで熊本県宇城市松橋に行った。教職員の平和教育研究集会である。まず「徳之島への米軍基地移設反対闘争」を30分のビデオで語った。そしてここまで徳之島が戦えたのはなぜ!?の問いに応えるために奄美・徳之島の歴史をあまんゆ、中世の時代、海民の活躍や島んちゅ(島人)の動きとカムィヤキ文化圏、黒潮文化など島国や諸島が狭い考えなど劣等感でなく「海」が島々を結び海民が重要な役割を果たしていたこと。鹿児島県人であって、歴史、文化も気候も異なる奄美。さらに植民地であった時代の誇りは薩摩的「近代化、明治維新」でなく「差別に耐え生き抜いた歴史」が誇りである、違いなどを語った。そして今、そのことを胸を張って発信できる時代であることを。
 参加者からは「沖縄戦で父が亡くなった、遺骨収集もできなかった。6・23そして自分の父の命日との違い」、「親族から疎開者は宮崎や大分、熊本が多かった、と聞いた。なぜ?」など。特に疎開は親戚がいる人は別として宮崎など鹿児島県本土は少なかった、と他の著書でも知っていただけにびっくりだった。薩摩圧政時代の差別と偏見は戦時中もあった。
夜は役員の皆さんと懇親会。宇城市は広くて2時間かかってきた人もいると聞いた。「鹿児島県人であって、「歴史・文化に違いがある」ことがわかった」。

鹿児島県本土の人が奄美を蔑視した時代もあった。「学生時代 団体で競技の選手として宿泊した旅館に一人で行ったら『島の人はダメ』と断られた」事例、昭和40年当時の話。

 

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逗子甕14年前の私のブログから

2009年 7月 3日 (金) 再調査「厨子甕」報告 4日、御殿(うどぅん)型厨子甕を再調査しました。ねらいは国立民族学博物館所蔵のように足部がちゃんとあるのか、ということでした。 10数名の参加で出発。洞窟墓を参拝後、厨子甕の足部を調査。するとまもなく屋根部の対照的な部分などが発掘された。合わせてみるとぴったり!いよいよ足部は? 写真通り、短めでゆるやかな足が付いていました。 琉球に繋がり、徳之島に縁のある人々の由緒ある厨子甕でした。 沖縄では今でも、洗骨後の骨壺「厨子甕」が販売されています。そしてそれは現世と後生の世界が繋がる意味から窓があり、そこに描かれている人々は死後の人を守る、役目だそうです。 アニミズムと仏教が融合した琉球の人々の死生観、すばらしいですね。

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12年前のブログから今を見る姶良カルデラ

2013年 10月 9日 (水) 拙速な川内原発1・2号機の再稼働を認めない決議 2011年3月5日放映 *トイレのないマンションといわれる原発 安全性は?2年前TV「ゼロ」で2030年に姶良マグマは満杯状態!いつ爆発してもおかしくない、今は報道されていませんが経済界に不都合な事実は隠蔽されるか、または小さく報道されることもある10月2日開催の姶良市議会本会議にて、 「県民の安全が担保されない拙速な川内原発1・2号機の再稼働を認めない決議」の採択を求める陳情書 が、賛成23 反対5 の賛成多数で、採択されました。 姶良市議会の決議です。 ■県民の安全が担保されない拙速な川内原発1・2号機の再稼働を認めない決議 県民の生活と安全に責任を持つ鹿児島県知事は、以下の県民の安全確保上重要な課題が解決するまでは、拙速な川内原発1・2号機の再稼働は認めない立場で、国および原子力規制委員会に対応することを求める。 (1)原発周辺の活断層の存在をすべて解明すること (2)火山災害に対する安全性の根拠を明らかにすること (3)安全確認を最優先するため、6カ月という枠にこだわらず審査するよう、原子力規制委員会に要請すること (4)地震・火山問題について、鹿児島県独自の専門委員会を設置すること (5)地震・火山問題について,専門家による検討会を公開の場で実施すること (6)実効的な避難計画も策定されていない状況での拙速な原発再稼働には反対すること 以上決議する。 平成25年10月2日 鹿児島県姶良市議会 議長 玉利 道満 鹿児島県知事 伊藤 祐一郎 殿」