あまぎ学フィールドワーク予定

      

令和4年度あまぎ学 北中学校行程(案) 天城町吉野さんから 北中学校学習案内の計画表

キャリア教育含む

9月22日(木)   北中学校  1年生 生徒24名 教諭●名

講師:幸多 勝弘 先生

【行程案】

 

9:00 北中学校 発

9:30 下原遺跡 付近  着

10:30 下原遺跡 付近  発

10:45 戸森の線刻画  着

11:05 戸森の線刻画  発

11:30 クロウサギ観察小屋  着

12:00 クロウサギ観察小屋  発

12:20 上名道森林公園  着

※昼食

13:05 上名道森林公園  発

13:30 天城岳松原登山道 着

※軽登山(動きやすい服装、飲み物、タオル)

14:20 天城岳松原登山道 発

14:40 浅間 特攻隊慰霊碑  着

14:55 浅間 特攻隊慰霊碑  発

15:00 北中学校  着  【終了】

10年前 人権同和教育研究会 ブログから

2012年 2月 2日 (木) 人権同和教育研究大会(徳之島)

三町人権・同和教育研究大会が1月31日 天城町中央公民館であった。

会長職5年、実践レポートも昨年30本、今年も29本。人権同和教育の実践が広がっている。 ハンセン病問題、生命尊重の授業。特別支援教育ではハンディを持ちながらも記憶面で優れている子の紹介や、個性の違い、その中で奮闘する教職員集団取組が報告された。 「地域の学校に行きたい、」「徳之島に養護学校の分教室・分校を!」今徳之島の支援教育が動き出した。

7日県議会議員 柳誠子が来る。徳之島町生涯学習センターで講演がある。span> 与論高校の分教室も教職員と教育行政の積極的な支援、地域の運動が功を奏した結果だ。与論高校の成果を検証するため3年間を待つのでなく、分校設置の運動を三町で連帯していくことだ。 「より深く関わる営み」が大切だ。

10年後 徳之島高校に大島養護学校の分教室は出来、有志の夢は実現した。

2010年米軍基地移設反対の運動も 功を奏した。だがウクライナへのロシア侵略をある面ソファーに座って見ている。戦争に正義はない、「基地移設報道」あの時の苦しい思い、喉元に銃剣を突きつけられた苦しさ脅威を忘れてはいない。ウクライナ、ロシアで戦争を指示命令しているのは政治家のトップ、夢希望を持った若い兵士が戦場に向かい、墓場へ。きみ死にたまうことなかれ 与謝野晶子 の詩を熟読してほしい。

花はどこへ行った ♪

繰り返される悲しみ、誰が何のために?

夏休み学校職員研修講師

19日k19日

花徳小学校の職員研修 19日地元学 豪農11のうち9つが徳之島。内5つの農家が花徳だった やがて学問を極めて二人の国会議員。経済力は学問の道を拓いたのだ。29日同じく阿権小学校職員研修 阿権川用水路、石垣から貧富 債務奴隷の民衆を知る。犬田布騒動の背景から明治維新、西郷と黒糖独占の大島商社の関係、隠れた歴史背景を語った。90分、真剣に聞いてくれた先生方に感謝です。

 

終戦記念日に思う 語り継ぐ実践を通して

大本営発表で勝利!確信して若者を戦場に送り出した満州事変、日中戦争、太平洋戦争。310万人の戦争犠牲者を出した日本。果ては一億玉砕と国民を死へと導いた 軍部、戦時教育の教訓は活きているのか。

終戦記念日は果たしてそうなのか。今は世界戦争前夜の様相を報道機関も流している。だが、日本国民にその危機感は無いに等しい。コロナ禍でも観光経済政策に目を囚われウクライナや周辺国、中国とロシアの合同訓練も開始されようとしている。それはロシアがウクライナ進行前に訓練と称して軍隊を移動結集していたのと変わらない。要するにいつでも台湾有事も起こりうるし、与那国や波照間 南西諸島が中国から、そして北方領土から、北海道へとロシアの手がのびることを意図的に画策、日本をも威嚇している。

そんな時、日本政府は専守防衛という9条を無くし攻撃のできる国づくりを憲法改革でやろうとしている。

人道的な支援こそ世界が求めている時代に、あの忌まわしい第二次世界大戦の前夜ともいえる軍事力の増強に世界が走っていく。目には目を!棒を持てば石を投げる、刀で、槍で、鉄砲で・・・・世界破滅の道筋を政治家も「防衛」という名の先制攻撃を目論んでいる。危ない!

戦争体験者の声は8月だけのことなのか?1944年9月25日疎開船「武州丸」からのメッセージは聞こえないのか。子ども老人、婦女子が犠牲になった戦争の体験は忘れられ、ゲーム感覚の政治家が世界の平和を願う、貧しくも幸福な人々の「今」を破壊し、私利私欲のため戦争に走る。

一発のミサイルが2100万円、これでどれだけのミルクが買えて、何万人の子どもたちの命が救えるのだ。

軍需産業は栄え、武器商人は豪邸にくつろぐ。貧しい人々は貧困ゆえに、イラク戦争の州兵が奨学金ほしさに戦地に向かったように、いつか経済格差によって日本の貧しい若者は食うため学びの奨学金ほしさに、殺人者になる。生きるため、国の為?今のロシア風がやって来る。

戦前の今、考えてほしい。「命ど 宝」私の妻は昭和の時代、幼い子供二人に言っていたのを思い出す。「戦争になったら足の一本を切り落としてでも兵隊にやらない」と。

武州丸の犠牲者148名と内77名の子どもたちの御霊に「再び子どもたちを戦場に送らない」と約束し、今年も慰霊の夕べを9月24日午後4時から なごみの岬で実施します。

 

夏休み平和学習 犬田布中学校

今は戦後、戦時中、戦前?

日本は太平洋戦争終戦から戦後、といっても良い。中国や北朝鮮の軍拡、そしてロシアのウクライナ侵略、ミャンマーの軍事政権などを思うと戦時中であり一触即発の戦前ともいえる。ロシアの状況を見ると日本の戦前を思わせる。自国の貧困から満州へ渡り、開拓団と称して満州の人々の土地を奪う。それとは知らず満州へ渡る日本国民だった。日中戦争が勃発、侵略国家となり三国同盟に活路を求めたが米英はそれを許さず経済制裁。ここまでくると今のロシアと似ている。戦争はいつの時代も男社会、政治家が起こす、が犠牲者は老幼婦女子である。

学童疎開船の対馬丸・武州丸の悲劇から78年だ。記憶に新しい。悲劇を忘れず伝えたい。

沖縄の鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊や少年たちの特攻隊、学徒出陣と若い青少年の夢と希望が絶たれる。誰のため?何のため?命を捨てるのか。戦争はお互いの「正義」の戦いである。言い分がある、そして報復は新たな報復を呼ぶ。憎しみの連鎖を絶つことができるのか?これこそが政治家の仕事。国民の弱者である、貧しい、学歴の低い人たちが前線に送られる。イラク戦争でもアメリカの州兵隊が奨学資金ほしさに出兵した。

今の政治家は、生々しい戦場も痛みも知らない。自分たちが戦場、前線に立つはずはない、と信じている。外交努力で共存共栄の思いを怠けていると、いつのまにか恨み、嫉妬を買う。独裁者を出してはいけない。ぬるま湯から抜け出して、若者たちの未来・夢のために国際協力、努力をすべきだ。

少なくともこのどさくさに紛れて軍事力増強、核兵器持つべしなどと右傾化し、元来た道に戻らないでほしい。再び子どもたちを戦場に送らない!大人であってほしい。

伊仙町から下原遺跡まで フィールドワーク

知らなければ伝えることはできない。学習すること、学び直したり生涯が「学ぶ」ことだと思っている。知り伝えるために独学もする、専門家の声も聞く。そして伝える、繰り返す。島の歴史「光と陰」斉彬と奄美、犬田布騒動記念碑の前で一揆と騒動とは?西郷のいくつもの顔。世界自然遺産、登録の意義。

糸木名小学校 タマシモロイタイム兼家庭教育学級

糸木名小学校のタマシモロイタイムが昨年に引き続き実施された。今回は「三味線に触れてみよう!」

全校児童と家庭教育学級のお母さんたちでした。調弦 20本余りの三味線を終え、5,6年生に先ず指導。

カエルの歌でドレミの奏法とポジション。指、バチ、姿勢等々。5名の児童はすぐマスター。次いで徳之島の子守歌を頑張った。

全自動がそろったところで、三味線の基本を語り。ドレミのポジション。しばらくして5、6年生が低学年に個別指導。異年齢の子どもたちが繋がるチャンス、やさしく教える先輩に低学年の子供は嬉しそう。

さて、5,6年生の模範演奏だ。わずか4,50分で2曲演奏を実現。

カエルの歌は一番を演奏、2番はみんなで歌った。徳之島の子守歌演奏。拍手喝采!

最後は六調、ワイド節を踊った。三味線に親しみ、慣れ、いつか再び手にして伝統をつなぐ子どもたちが現れることを期待して、3時間に及ぶ郷土教育の伝承活動を終えた。

遺跡を訪ねて本川から尾母集落へ 広報北区 6,7月号

駐在員・区長(自治公民館長)として子ども会から高齢者までのニーズを理解し、活動を推進していく役割を担っている。コーディネーターとして、金子みすゞの「みんな違ってみんないい!」の志で歩んでいる。

昭和50年沖永良部島 知名町上城小学校赴任当時から、青年団・子ども会・西目スポーツ少年団設立など社会教育5時から男でやって来て、今そのゴール近くに来ていると思っている。そこから見る地域は、子どもの夢や未来を見渡しているだろうか?青年のエネルギーを発散させ、生き甲斐を持った日々を送っているだろうか、高齢者は夢と希望をもって「生涯青春」を満喫しているだろうか。それらの環境を準備し整えているだろうか、行政は?地域のリーダーは?。自問自答しながら歩む。

歴史もきちんと把握しなくては、先史時代、古代からの変遷。狩猟採集(貝塚)時代から島はどう変わったか。今日、尾母での発掘現場を見て来た。カムィヤキの遺物が出土している。出来具合は粗雑で焼きが甘く赤土部分が残っている。立派な完成品は島外へ交易品として出ているはずだ。そのうち居住地跡もわかると思う。そこから海を下っていくと本川貝塚、海へとつながる。貝や追い込み漁をした海人(ウミンチュ)が山の幸、狩猟も可能な台地に居住地を求め登ってきたところが「尾母」集落、という道筋が見える。今度フィールドワークで案内したい。

6月29日 何の日?

六年前のブログから思う。
戦争が始まった今、自らに問いかけた「今は戦後?それとも戦前?」その答えがロシアという大国の侵略戦争という現実問題になった。
だが、私たちはTV慣れし、現実とは思えない参事を前に為す術もなく、日常の平和を「コロナ禍」で生きている。この平和な生活が一瞬にして消えた12.8や島の6.29、10.10、結果8.6.8.9の惨状を経て8.15を迎えた過去の学び直しが必然的にやって来たのだ。
 守ってきた「平和」の城がこんなに、もろかったのか、ということを知った。
戦後 日教組は教員のほぼ100%が加入し「子どもたちを再び戦場に送るな!」と「民主教育の実践」を訴えて来た。その加入率が20%を切る時代に、過去の日本の軍国主義、「戦争、侵略」を他国ロシアが行っている。「歴史は繰り返される」「過去に目を閉ざすものは未来に対して盲目となる」、である。
2016年 6月 29日 (水)

富山丸 慰霊の日

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鹿浦小学校 旧奉安殿
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弾痕 人の命を狙った機銃掃射

NHK朝のラジオ番組で 「今日は何の日」というのがあるが。今日は1944年6月29日 7時30分頃 戦時中の奄美近海、徳之島 亀徳沖のわずか3kmで「輸送船 富山丸」が魚雷攻撃で轟沈した。3700余名の若者があっという間に海中に没し、海に飛び込み陸に向かって泳いだ人たちも、ガソリンが引火し、火の海で焼死。浜辺には200体もの兵士が打ち上げられ、砂浜で火葬された。なごみの岬。今日も暑い日になりそうだ。72年前の今頃 地獄と化した亀徳沖の悲惨な、悲痛なシマンチュの顔は、想像もできない。神の国日本が負けるはずがない。勇壮な船団が南下する光景に胸躍らせた人々が目の当たりにした船団の撃沈模様。奄美近海はすでに制空権、制海権を失っていた。にもかかわらずそれから1年以上過ぎた8月15日の終戦。沖縄も奄美も本土防衛の捨て石であったことがわかる。再びこどもたちを戦場に送らない!その思いが高齢化によって遠ざかっていく。ゲーム感覚のTV放映によって命の重たさが軽く、流される(放映)今は戦後なのか?それとも戦前?

馬毛島とラプコン《radar approach control》を考える

2010年の徳之島への米軍基地移設反対闘争の教訓から、伝えたい

《radar approach control》レーダー進入管制。 地上誘導着陸方式によるもので、空港監視レーダーと精測進入レーダーを用い、無線電話により操縦士に指示を与えて着陸させる。

嘉手納ラプコンは、嘉手納基地から半径90キロ、高さ6000メートルの空域と、久米島空港の半径55キロ、高さ1500メートルの空域の進入管制業務を嘉手納基地のレーダーで米軍が実施してきました。

那覇空港から離着陸する民間機は、嘉手納基地に離着陸する米軍機と航路が重なるため、約10キロの間、高度300メートルの低空で飛行するという「高度制限」を義務付けられています。

こうした米軍優先により、ニアミス(異常接近)の発生、低空飛行による乱気流発生時でのトラブルの可能性が指摘され、民間機の安全優先、燃料負担の軽減などから嘉手納ラプコンの早期返還が求められていました。

国土交通省は、返還後は地上と上空の管制を日本側で行うため、米軍機の飛行状況が早めに把握でき、米軍機の状況によっては高度制限せずにスムーズな着陸・上昇が可能としています。


変わらぬ米軍優先

嘉手納ラプコンの日本への返還は「空の主権回復」、民間航空の安全確保という点で前進です。

しかし全面返還ではありません。国土交通省も認めるように高度制限の“緩和”は、あくまで嘉手納基地や普天間基地を離着陸する米軍機の飛行計画が予定されていない場合です。米軍機の飛行や作戦計画に支障のない範囲が前提なのです。

馬毛島でのタッチアンドゴー、離着陸訓練は「ラプコン」という、空域の制限下で行われる。であれば種子島、屋久島方面から国内線はおのずと狭い空域しか運航できない。わが物顔で制空権をもって轟音を轟かせても文句は言えない。2010年まで那覇空港がわずか高度300mしか許されてなかったことを知っているのだろうか。