井之川中学校戦跡、歴史探訪2021

12月13日 井之川中学校1年生は再来年実施される 修学旅行(長崎)の事前学習も兼ねて世界自然遺産登録の2021年に徳之島の歴史自然を学んだ。

なごみの岬で富山丸、疎開船武州丸の悲劇をつたえた。148名77名の乳幼児、児童生徒。サイパン島陥落の後、全国の子供たちへ疎開命令。徳之島では国防、本土防衛の戦闘のため足手まとい、口減らしであったこと。

銀竜洞では鍾乳洞と沖縄のガマ、集団自決の様を伝え日本軍のみならず国のためと称した少年の自爆行為を募ったこと、1985年当時、集団自決のチビチリガマに入った時の燃えかすや遺留品・・・。鹿浦小学校の旧奉安殿と天皇、教育勅語とブローニング機関銃の弾痕と実際の弾丸を紹介。犬田布岬 水上特攻としての戦艦大和、「時代の進歩を軽んじた敗戦」。

下原遺跡では1万3800年前の隆帯文土器や2万5千年前の生活跡があったこととAT火山灰層、スリ石~人類の北上説。兼久小学校当部分校跡(現公民館)で昼食。アマミノクロウサギ観察小屋周辺の獣道、夜行性で食性など、さらにはロードキル交通事故。保全と観光のギャップ。

徳之島を中継基地とした特攻隊と喜界島への移動。

防空壕跡では朝鮮人の徴用工と野戦病院、兵隊の防空壕としての機能。安心安全な場所がここ、すなわち防空壕であったこと。月の明かりで田植え農作業、昼間の危険性。

史跡巡り 世界自然遺産登録で島を誇りに思える若者が育ってほしい。先人が守ってきた自然と文化を学び知って伝えること。平和と戦争、体験経験者からの聞き取りをしてほしい。

真剣な教師と子どもたちであった。平和を守り作る若者へのメッセージを語り継ぐことは戦争犠牲者、疎開船武州丸で亡くなった方々の遺言として続けたい。

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