


2010年1月沖縄の米軍基地を徳之島へ移設
沖縄県民同様、銃剣を胸に突きつけられた苦しさがありました。
今またジワジワとにたような恐怖が迫っています
ロシアのウクライナ侵略、台湾有事、尖閣諸島、北方領土問題
😪かつて日本が中国に侵攻し満州国という傀儡国家を作り、国民を満州に送り込み、アジアでは大東亜共栄圏と称して侵略戦争、広島 長崎 沖縄の地上戦310万人という戦死者の結果終戦 😄それでも軍部は一億玉砕 戦争遂行を叫んだ
誤った政治家、軍部の独裁によって戦争は始まった
😃過去に目を閉ざす者は現在において盲目となる
ドイツ ワイゼッカー大統領の言葉
過ちは再び繰り返さない
戦争の放棄を訴えた憲法9条です
目には目を、
戦争は憎しみを増幅させ、報復は新たな報復を生み出す
😀命どぅ宝
命に軽い重いはない、
11年前の夏、子どもたちの夢と希望を奪った戦争の悲惨さを風化させない、そのような思いで作った紙芝居が
武州丸からのメッセージです
😳今は戦後か、戦前か
武州丸と平和を考える会のテーマであり、わたくしのライフワークです😌💓今は戦時中であるという事を共有し、皆さんと共に平和を考える機会に出来ることが真実の慰霊であると考えます。
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あまぎ学フィールドワーク予定
令和4年度あまぎ学 北中学校行程(案) 天城町吉野さんから 北中学校学習案内の計画表
キャリア教育含む
9月22日(木) 北中学校 1年生 生徒24名 教諭●名
講師:幸多 勝弘 先生
【行程案】
9:00 北中学校 発
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9:30 下原遺跡 付近 着
10:30 下原遺跡 付近 発
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10:45 戸森の線刻画 着
11:05 戸森の線刻画 発
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11:30 クロウサギ観察小屋 着
12:00 クロウサギ観察小屋 発
↓
12:20 上名道森林公園 着
※昼食
13:05 上名道森林公園 発
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13:30 天城岳松原登山道 着
※軽登山(動きやすい服装、飲み物、タオル)
14:20 天城岳松原登山道 発
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14:40 浅間 特攻隊慰霊碑 着
14:55 浅間 特攻隊慰霊碑 発
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15:00 北中学校 着 【終了】
夏休み学校職員研修講師
伊仙町から下原遺跡まで フィールドワーク
糸木名小学校 タマシモロイタイム兼家庭教育学級
糸木名小学校のタマシモロイタイムが昨年に引き続き実施された。今回は「三味線に触れてみよう!」
全校児童と家庭教育学級のお母さんたちでした。調弦 20本余りの三味線を終え、5,6年生に先ず指導。
カエルの歌でドレミの奏法とポジション。指、バチ、姿勢等々。5名の児童はすぐマスター。次いで徳之島の子守歌を頑張った。
全自動がそろったところで、三味線の基本を語り。ドレミのポジション。しばらくして5、6年生が低学年に個別指導。異年齢の子どもたちが繋がるチャンス、やさしく教える先輩に低学年の子供は嬉しそう。
さて、5,6年生の模範演奏だ。わずか4,50分で2曲演奏を実現。
カエルの歌は一番を演奏、2番はみんなで歌った。徳之島の子守歌演奏。拍手喝采!
最後は六調、ワイド節を踊った。三味線に親しみ、慣れ、いつか再び手にして伝統をつなぐ子どもたちが現れることを期待して、3時間に及ぶ郷土教育の伝承活動を終えた。
遺跡を訪ねて本川から尾母集落へ 広報北区 6,7月号
駐在員・区長(自治公民館長)として子ども会から高齢者までのニーズを理解し、活動を推進していく役割を担っている。コーディネーターとして、金子みすゞの「みんな違ってみんないい!」の志で歩んでいる。
昭和50年沖永良部島 知名町上城小学校赴任当時から、青年団・子ども会・西目スポーツ少年団設立など社会教育5時から男でやって来て、今そのゴール近くに来ていると思っている。そこから見る地域は、子どもの夢や未来を見渡しているだろうか?青年のエネルギーを発散させ、生き甲斐を持った日々を送っているだろうか、高齢者は夢と希望をもって「生涯青春」を満喫しているだろうか。それらの環境を準備し整えているだろうか、行政は?地域のリーダーは?。自問自答しながら歩む。
歴史もきちんと把握しなくては、先史時代、古代からの変遷。狩猟採集(貝塚)時代から島はどう変わったか。今日、尾母での発掘現場を見て来た。カムィヤキの遺物が出土している。出来具合は粗雑で焼きが甘く赤土部分が残っている。立派な完成品は島外へ交易品として出ているはずだ。そのうち居住地跡もわかると思う。そこから海を下っていくと本川貝塚、海へとつながる。貝や追い込み漁をした海人(ウミンチュ)が山の幸、狩猟も可能な台地に居住地を求め登ってきたところが「尾母」集落、という道筋が見える。今度フィールドワークで案内したい。

6月29日 何の日?
富山丸 慰霊の日
NHK朝のラジオ番組で 「今日は何の日」というのがあるが。今日は1944年6月29日 7時30分頃 戦時中の奄美近海、徳之島 亀徳沖のわずか3kmで「輸送船 富山丸」が魚雷攻撃で轟沈した。3700余名の若者があっという間に海中に没し、海に飛び込み陸に向かって泳いだ人たちも、ガソリンが引火し、火の海で焼死。浜辺には200体もの兵士が打ち上げられ、砂浜で火葬された。なごみの岬。今日も暑い日になりそうだ。72年前の今頃 地獄と化した亀徳沖の悲惨な、悲痛なシマンチュの顔は、想像もできない。神の国日本が負けるはずがない。勇壮な船団が南下する光景に胸躍らせた人々が目の当たりにした船団の撃沈模様。奄美近海はすでに制空権、制海権を失っていた。にもかかわらずそれから1年以上過ぎた8月15日の終戦。沖縄も奄美も本土防衛の捨て石であったことがわかる。再びこどもたちを戦場に送らない!その思いが高齢化によって遠ざかっていく。ゲーム感覚のTV放映によって命の重たさが軽く、流される(放映)。今は戦後なのか?それとも戦前?
6年前 「今は戦後か、戦前か?」東天城中 フィールドワークを顧みる
東天城中フィールドワーク
恒例の東天城中学校1年生のフィールドワークの案内。5年目になるだろうか、取り組みに感謝である。オリエンテーションではエコツーリズムについて語った。自然環境と歴史、文化についての体験型観光。母間騒動について母間正直と一体的な正義感が成した一揆であること、これまでタブーとされた「お上への抵抗の歴史」がやっと消え、記念碑が建立される時代になった。ちなみに今年は母間騒動200年の節目の年だ。当部のアガリマタイジュンやオキナワウラジロガシ周辺は観光客のために整備されていた。ただ悲しいかな清流の水たまりがあってハグロトンボが遊ぶ、水たまりは無残にも石が整然と敷き詰められてしまった。何かができるとき、何かが失われていく。浅間陸軍飛行場滑走路跡や防空壕。犬田布騒動記念碑。民衆の団結、同胞を見捨てない命を賭しての抵抗。遠島中でも沖縄民謡踊りを習得して徳之島に琉球音楽を伝えた安寿珠。メランジュでは島の成り立ち、アマミノクロウサギと同様、1億年の時の流れの中で海底7000mから浮かび出たメランジュ。平和教育は写真を示しながら実施。鹿浦小学校の機銃掃射による旧奉安殿の弾丸痕跡。人が人を殺めようとした痕跡である。今の時代が戦後なのか、戦前であってほしくない。平和の構築を、敵対しないグローバルな平和共存を訴えた。
闘牛に集う、旧友 「闘牛は文化だね!」
闘牛は文化だ!
「闘牛は文化だ!」
昭和35年生まれ「14歳の時に沖縄に移住した」、あれから40年!息子夫婦と奄美大島を観光した帰りに「同級生が闘牛大会でチャンピオン防衛だって、降りよう!」と下船した。可愛い赤ちゃんを連れた新婚夫婦。
4人の同級生の顔だ。あれから40年!同級生は「ジャイアン!」などとあだ名で呼び合う。ほほえましい!そしておばあちゃんは「ごちそうをファミリーで手分けして優勝祝いをしている」という。
知人友人親戚が勝ち祝いで押しかける。
笑顔笑顔、そして笑顔。
幸福度世界一の、笑顔が満ちあふれている。これはその中にいないと感じられない。共有、共感すること。今の時代、都会にこんな場はありません。応援した人々が何人でも押しかけ飲んで食べて、そして一体感を持つことのできる「場」。
「老若男女」という言葉、「老人と子どものふれあい」。実践する場が徳之島にはあります。思いを共有し連帯し、感動を共にする。また勝敗の結果を真摯に受け止める度量。
現代版「闘牛文化」だと思う。
母間騒動は用意周到な「農民一揆」7年前のブログ
母間騒動 職員研修に参加
28日 母間小学校の職員研修に参加した。「母間騒動について」語った。その時代背景から薩摩藩の圧政の中で轟木に飛び地 共有田(約20町歩)を持つ母間村民。
昨年末やっと母間騒動の碑が建立されたが、2世紀の間母間村民が代官にたてついた不届き者、不埒とされてきた歴史を忘れてはならないし、検証を要する。母間正直の碑文から読み取れる「事あるときは地区を挙げて難に当たり事を処す積極性と情熱」。この文言が母間村民に許された「語り継ぎ」であったと私は思っている。
来年は母間騒動(1816)から200年である。
抵抗の歴史のDNAが犬田布騒動で語られるが、あの「騒動」においてでさえ代官所がすぐ母間村民の動向や鉄砲に敏感になったことは仲為日記からも読み取れる。
今こそ、「真実は勝つ、悪政を糾せ!」と叫んだ喜久山の想いを世に出さなくてはならない。








19日

























